太平洋海戦史



ウェーク島攻略戦1941.12.11


 典型的な戦力の小出しが災いした作戦で、実は陸軍もフィリピンのコレヒドール要塞で同じ轍を踏んで被害を大きくしたのだが・・・本題に戻ると、第6水雷戦隊司令官梶岡少将は12月8日、海軍陸戦隊2個中隊(500名)を輸送する特設巡洋艦「金龍丸」「金剛丸」および哨戒艇2隻、また護衛として軽巡「夕張」、駆逐艦6隻をもって出撃した。
 一方、クェーク守備隊長のカニンガム中佐は、F4F戦闘機12機の増強があったものの爆撃で8機破壊され、さらには艦砲射撃によって燃料タンクが破壊されるも、生き残った5インチ砲台をよくつかい、反撃に移った。また残りのF4F戦闘機もありあわせの爆弾を搭載し、攻略部隊に襲いかかり、荒天による上陸困難と相まってよく防いだ。
 ウェーク島攻略に失敗した井上中将は、真珠湾から帰投途中にあった空母部隊の派遣を要請、山口多聞少将の第2航空戦隊「飛龍」「蒼龍」の派遣を決定し12月21日攻撃は再開された。延べ100機以上の艦載機による爆撃、さらに3個中隊に増派された陸戦隊の上陸、激戦の末日本軍に500名以上の死傷者をだして23日にようやく占領した。
 上陸用舟艇である「大発」あるいは上陸強襲艦的要素のある輸送船とか、先進的な上陸用艦艇があったにもかかわらず、戦術的にあまりにも不手際が多かったこの攻略戦は、その後もこの教訓が生かされることなく悔やまれる。



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