太平洋海戦史


台湾沖航空戦1944.10.12〜16  

 
マーク・ミッチャー中将の大38任務部隊は、フィリピン上陸開始前に日本軍の航空戦力撃滅すべく行動を開始した。10月10日延べ400機が南西諸島の各基地を空襲した。
 同日、連合艦隊司令長官豊田副武大将は、米空母部隊の来襲に備えて編成した最精鋭部隊である「T攻撃部隊」の投入を、第6基地航空部隊司令官の福留繁中将に命じた。
 10月11日、第38任務部隊はフィリピンの沖合に移動空襲したあと10月12日、台湾東方へ移動し、延べ1000機が台湾を空襲した。
 10月12日午前3時、台湾の東港を発進した索敵機が米空母部隊を発見、台湾全土が空襲を受ける中、T攻撃隊は米艦隊に攻撃を開始した。 午後6時25分、一式陸攻37機、銀河22機、陸軍の四式重爆25機が発進、薄暮攻撃をかけた。戦闘状況は全く確認できず、米戦闘機の邀撃と対空砲火で54機が未帰還となった。T攻撃部隊司令部は生還機の報告を総合し空母4隻を轟撃沈と判断した。
 10月13日再び台湾の各基地に対して米空母機延べ974機の空襲を受けた。T攻撃隊は午後6時31分、一式陸攻と銀河で編成した攻撃隊28機が発進攻撃を加え18機喪失した。司令部は空母3隻を轟撃沈と判断した。
 10月14日、第38任務部隊はが台湾に対し最後の空襲を加えた。空襲は246機の第1波のみであったため空襲の弱体化で大戦果を裏付けられたとし、T攻撃隊は残存米艦隊を撃滅すべく、沖縄に集結した航空隊300機以上を投入し総攻撃を加えた。
 午後1時30分、第1次攻撃隊(戦闘機80機、彗星40機、銀河24機)、2時30分には第2次攻撃隊(戦闘機105機、九九艦爆47機、天山56機)が発進して、石垣島南方海上を遊弋する米空母部隊を攻撃した。さらに一式陸攻15機、銀河11機、四式重爆16機の第3次攻撃隊が夜間攻撃を実施。この日の攻撃で139機を失ったものの空母3隻を轟沈したものと司令部は判断した。

 10月15日、フィリピンの第1航空艦隊はマニラ東方海上に米空母部隊を発見、第1航空艦隊司令長官寺岡謹平中将は零戦39機、一式陸攻3機、天山12機、陸軍の四式戦63機を発進させた。司令部は空母1隻を撃沈と判断。攻撃機は23機喪失した。
 10月16日、日本軍は台湾東方海上に空母2隻を含む残存艦隊を発見、これを撃滅すべく台南から零戦40機、九九艦爆37機、天山18機、銀河8機が飛び立った。攻撃隊は空母らしきものを1隻撃破と報告。30機が未帰還になった。
 連日大戦果が報告され、米空母部隊を撃滅したと判断していた連合艦隊司令部に10月16日、鹿屋から発進した索敵機が台湾東方に空母7隻、戦艦7隻を基幹とした米艦隊を発見したという報告を受け驚愕した。
 第38任務部隊はが受けた実際の損害は、巡洋艦2隻が大破したほかに、数隻の空母などが戦闘に支障のない軽微な損害を受けたに過ぎる、逆に日本軍機は300機以上を失い、以降まともな航空作戦を実施することが不可能となった。
 大本営は、12日から16日の航空戦で空母19隻、戦艦4隻を含む敵艦の撃沈破45隻と大々的に発表、この戦いを「台湾沖航空戦」と命名した。

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