
太平洋海戦史
スラバヤ沖海戦1942.2.27(ジャワ海海戦)
日本の上陸部隊のジャワ島接近の報を得た連合国艦隊司令長官カレル・ドールマン少将は、2月25日、ABDA艦隊(重巡2、軽巡3、駆逐艦9)を率いてスラバヤ港を出港、日本船団を探索した。2日間の行動で日本船団を発見できず燃料補給のため帰投することにした。
一方上陸船団護衛の指揮を執る第5戦隊司令官の高木武雄少将は、ABDA艦隊を捕捉するために麾下の艦隊をスラバヤへと向けた。探索の結果、27日17時過ぎに接触・戦端は開かれた。まず、第2水雷戦隊の軽巡「神通」は先頭の駆逐艦に対して砲撃を開始した。そして2分後には第5戦隊も砲撃し、ABDA艦隊も応戦した。約1時間の攻撃も双方有効な命中弾をあたえることができないまま、重巡「羽黒」が放った20cm砲弾が重巡「エクゼター」に命中、これをきっかけにABDA艦隊は混乱し駆逐艦「コルテノール」が雷撃により轟沈し、ますます混乱に拍車がかかったが煙幕を張り離脱をはかった。19時過ぎ、再度ABDA艦隊捕捉魚雷戦を展開する中、ABDA艦隊も反撃し双方被弾・沈没もでて日没となった。
いったん離脱したABDA艦隊は陣容を整えると再度夜戦をしかけるためスラバヤ海域を遊弋していた。28日午前0時頃双方の艦隊が接触するも昼戦で弾薬を使い切ったために、積極的な攻撃ができず重巡「那智」「羽黒」が放った魚雷で軽巡「デ・ロイヤル」及び「ジャワ」の2隻を撃沈し海戦は終了した。スラバヤ沖海戦は、太平洋戦争で初めての艦隊決戦となった。結果は日本軍の圧倒的な勝利であった。