
太平洋海戦史
第3次ソロモン海戦1942.11.12〜14
11月12日夜、戦艦による再度のヘンダーソン飛行場攻撃を
実施するため、阿部弘毅中将率いる第11戦隊(戦艦「比叡」「霧島」)を主力とする挺身部隊はガダルカナル島へ接近した。午後11時51分砲撃戦が始まり「比叡」は36センチ主砲(三式弾)を放ち軽巡「アトランタ」の艦橋に命中し座乗していたスコット少将は戦死した。これをきっかけに乱戦模様となり「比叡」に対し米軍も砲撃を集中し操舵不能となった。狭い海峡内での日米艦船いりみだれての格闘戦で大混乱となり戦闘の詳細は明らかでなく、損傷艦を列記すると、駆逐艦「夕立」は砲撃を受け航行不能。同じく駆逐艦「暁」撃沈されたと見られる。駆逐艦「村雨」と天津風」は多数の命中弾で北方へ待避。米軍は、駆逐艦「カッシン」「ラフェイ」は爆沈。駆逐艦「ステレット」は中破、「オノバン」は小破。重巡「サンフランシスコ」は艦橋に命中弾を浴び大破、キャラガン少将は戦死。重巡「ポートランド」大破。駆逐艦「アーロンワード」は航行不能。駆逐艦「バートン」は轟沈。駆逐艦「モンセン」は廃艦。翌13日午前0時30分、「霧島」は飛行場砲撃を断念、戦場を離脱した。
近藤信竹中将率いるガ島攻撃隊(戦艦「霧島」重巡「愛宕」「高雄」軽巡「長良」「川内」駆逐艦「雷」「五月雨」「朝雲」「白雪」「初雪」「照月」「浦波」「敷波」「綾波」)は11月14日夜泊地に突入すべくガダルカナル島へ向かった。午後8時31分米艦隊発見の報を聞き、第3水雷戦隊司令官・橋本信太郎少将の掃討隊(軽巡「川内」駆逐艦「浦波」「敷波」「綾波」)にまかせ、自身は射撃隊(戦艦「霧島」重巡「愛宕」「高雄」軽巡「長良」駆逐艦「雷」「五月雨」「朝雲」「白雪」「初雪」「照月」)を率いて予定通り飛行場攻撃に向かった。
午後9時7分、米艦隊の進路変更に伴い、第10戦隊司令官・木村進少将が指揮する(軽巡「長良」駆逐艦「雷」「五月雨」「白雪」「初雪」)を分派、掃討隊と共に米艦隊の撃滅を命じた。
午後9時12分米艦隊(戦艦「ワシントン」「サウスダコタ」)も日本艦隊を視認、すぐさま砲撃を開始した。
戦闘は、単艦行動の命令を受けた駆逐艦「綾波」の砲撃から始まり駆逐艦「ウォーク」に損害を与えるも駆逐艦「ベンハム」「プレストン」が加わり反撃を受け午後9時半に航行不能に陥った。日本艦隊直営隊は、「綾波」と交戦中の艦隊を発見、「ウォーク」「ベンハム」「プレストン」に砲雷撃を集中し、ついで「サウスダコタ」に命中弾を浴びせた。午後10時近藤中将は敵戦艦2隻を認めると、距離6000から砲撃を開始、同時に「愛宕」「高雄」が魚雷を発射。「サウスダコタ」は多数の命中弾により上部構造物が大破炎上したため戦場を離脱した。一方リー少将は得意のレーダー射撃で距離8000から「霧島」めがけ40センチ砲弾を次々命中させわずか7分で戦闘不能に陥れた。この後日本艦隊は煙幕を展張し戦線離脱をはかり、結果的にヘンダーソン飛行場の砲撃を断念した。午後10時32分、日本軍阻止の目的は果たしたと判断したリー少将も戦線を離脱した。
第3次ソロモン海戦で、米艦隊は大半に被害を出したがヘンダーソン飛行場を守りきり対日本戦勝利を決定的なものとした。日本軍は戦艦2隻を喪失しさらに船団輸送に失敗したことによりガダルカナル奪回どころかガ島ならぬ「餓島」としてしまった。結果論になるが、米軍は太平洋艦隊の総力を結集してこの海戦に臨んだが、日本側は戦艦「大和」「陸奥」「金剛」「榛名」を出し渋った。やはり物量の差が結果を左右したものと思われる。なぜなら、1隻でも沈められたら後のない日本と大戦終結までに40隻以上の艦船を作る能力のある米国との差ではないか。