太平洋海戦史


第2次ソロモン海戦1942.8.24  

 連合艦隊司令部は第1次ソロモン海戦の結果をふまえて、また米軍の上陸部隊等々を過小評価し、ガダルカナル島奪回が容易と判断した結果、陸軍の「一木支隊」「川口支隊」および海軍の「横須賀第5特別陸戦隊」を集結し、また山本五十六連合艦隊司令長官も旗艦「大和」に座乗しトラックへ向け出撃した。
 8月18日、900名の一木支隊はガダルカナル島タイホ岬に逆上陸し、8月21日増援を待たず威力偵察と称して単独で米軍基地対して攻撃するも、海兵隊の猛反撃に遭い1日にして壊滅した。
 8月24日、第3艦隊(司令長官南雲忠一中将)から分離した原忠一少将率いる支隊(空母「龍驤」重巡「利根」駆逐艦「時津風」「天津風」は10時20分第1次攻撃隊(零戦6、九七艦攻6)を発進、空母「翔鶴」(主隊南雲中将指揮)からの攻撃隊と併せてヘンダーソン基地を爆撃させた。
 一方の米軍側も「エンタープライズ」から索敵機23機発進させ、さらに「サラトガ」からSBD30機、TBF8機は発進させた。13時50分、「サラトガ」攻撃隊は、13時50分「龍驤」を発見、急降下爆撃と雷撃とで左舷へ魚雷一本が命中し帰投する。このとき「龍驤」は航行不能におちいり18時過ぎにガダルカナル島北東200海里(約370km)の地点に沈没した。
 14時20分、第1次攻撃隊が米空母発見突撃するも米戦闘機30機に邀撃され、大損害を受けつつもこれを突破し逆さ落としの急降下爆撃にて空母「エンタープライズ」に250kg爆弾3発を命中させた。しかし、大火災が発生したにもかかわらず深刻な被害とはならず、逆に穴のあいた飛行甲板を1時間以内に補修、艦載機を収めた後戦域を離脱した。
 「龍驤」の喪失は珊瑚海海戦と同様戦力の分散によっておこったものである。また、小型空母の運用に関しては、単独では防空能力が低いことは周知のことであったにもかかわらず自ら戦力を浪費した結果となったのには残念である。

 第2次ソロモン海戦後のガダルカナル島を巡る状況は、増援部隊(川口支隊3000人)は数次の駆逐艦輸送によりガダルカナル島上陸し、9月13日には兵力1万人以上が守るヘンダーソン基地を攻撃、結果はいうまでもなく川口支隊は壊滅した。ガダルカナル島奪回が容易でないことを認識した日本軍は、第17軍を派遣と同時にラバウルから連日攻撃機を向かわせたが損害ばかり大きく、やってはならない消耗戦に引きずり込まれてゆくのである。

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