
太平洋海戦史
第1次ソロモン海戦1942.8.9
ニューカレドニア、フィージー、サモア各島方面への進出をはかるため、FS作戦としてガダルカナル島へ飛行場建設を決定した。それに先だって、日本海軍はSN作戦(ソロモン諸島およびニューギニア東部における航空基地獲得設営のための作戦)を発動し、7月16日から建設8月5日には滑走路の完成と航空機の進出が可能となった。
一方米軍はミッドウェイ海戦勝利後の最初の反攻作戦である「ウオッチタワー」作戦を発動し、8月7日フランク・フレッチャー中将指揮下のリッチモンド・ターナー少将率いる水陸両用部隊はガダルカナル島およびツラギ島へ上陸、完成したばかりの飛行場を占領した。
日本海軍の反攻は、ラバウルから零戦17機、陸攻27機出撃し、海からは三川軍一中将率いる第8艦隊に第18戦隊を加えて出撃した。8月8日午後11時頃サボ島南岸にて哨戒中であった南方艦隊に対しただちに砲雷撃を開始し、重巡「キャンベラ」「シカゴ」駆逐艦「パターソン」は大破した。その後、第8艦隊は米軍北方艦隊を追いながらサボ島沖を北上し9日午前0時頃捕捉、重巡「クィンシー」「ヴィンセンズ」を大破せしめた。
結果は「鳥海」のみ小破にとどまり一方的な戦いとなり、第1次ソロモン海戦は日本海軍の夜戦能力の優秀さを証明した。悔やまれるのは、損害を顧みずに米輸送船団に対し攻撃を行わなかったことである。ガ島攻防戦も違った様相をとなったであろう。