太平洋海戦史


セント・ジョージ岬沖海戦1943.11.24〜25   

 11月、米軍はラバウル島の目と鼻の先にあるブーゲンビル島に上陸。日本軍は同島北西のブカ島を強化するために、陸海軍部隊の緊急輸送を開始、吉川潔大佐が指揮する第31駆逐艦隊(駆逐艦「大波」「巻波」「天霧」「夕霧」「卯月」)が当てられた。
 第1回目は11月21日午後1時30分ラバウルを出撃、「天霧」「夕霧」「卯月」の3隻で陸海軍将兵875名、物資30トンを載せ、護衛には「大波」「巻波」の2隻である。ブカ島に将兵と物資揚陸後、傷病兵655名を乗せて11月22日午前無事ラバウルに帰還した。
 第2回輸送は、11月24日に実施、兵員810名と軍需物資32トンを載せ、午後1時30分ラバウルを出発した。しかし日本軍の増強に気づいた米軍はこれを阻止するためにアーレイ・バーグ大佐率いる5隻の駆逐艦をブカ島方面へ派遣した。バーク隊は、午後11時41分、兵員や物資の揚陸が終わり、ラバウルへ後送する600名の兵員を乗せ帰還途上にある2隻の日本艦隊をレーダーで探知、11時56分バーク隊の駆逐艦は第31駆逐艦隊にむけて15本の魚雷を発射、さらに遅れていた3隻の日本駆逐艦を発見追撃態勢に入った。第31駆逐艦隊は米艦隊の存在に全く気がつかず11月25日午前0時、後続の艦隊との距離を詰めるために減速したところに突然の雷撃で、「大波」「巻波」は被弾炎上し、夕霧もバーク隊の砲火で午前1時30分に沈没した。日本の駆逐艦は「ベラ湾夜戦」と同様SGレーダーの猛威の前にあえなく沈められてしまった。

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