太平洋海戦史


セイロン島沖海戦1942.4.5〜9

 真珠湾奇襲を成功させ東方海面からの脅威を取り除いた南雲中将ひきいる第1航空艦隊(機動部隊)は戦艦「金剛」「榛名」「霧島」「比叡」そして空母「飛龍」「蒼龍」「加賀」を従え、英極東艦隊を求めて勇躍インド洋へ向かった。 4月5日淵田美津雄中佐が指揮するコロンボ攻撃隊(零戦36機、九九艦爆38機、九七艦攻52機)が発進した。英東洋艦隊は戦艦5空母3に大幅増強されたものの、コロンボには存在しなかったが、英軍戦闘機42機が待ち受けていた。淵田隊はこれらを粉砕すると港湾施設への爆撃を加えたが、不十分と見て第2次攻撃を要請した。このとき一旦は魚雷を装備していた九七艦攻の雷装を解き爆装への転換を命じた。そんな中、英重巡「ドーセンジャー」と「コーンウォール」発見の報を聞き、再び雷装転換を命じ攻撃に向かわせた。このとき20分足らずで2隻とも撃沈した。
 4月9日午前9時、ツリンコマリーを攻撃、めぼしい攻撃目標がなく港湾施設と飛行場を爆撃した。同11時探索機が英空母「ハーミーズ」を発見、九九艦爆85機を直ちに向かわせわずか15分で撃沈したが、同時刻南雲艦隊も英空軍のブレニム爆撃機による高度4000メートルからの高度爆撃を受けていたが、幸い被害はなかった。
 このときの海戦で日本軍による攻撃はそれぞれ80%の命中率を誇り、戦果を聞いた南雲中将は驚喜し、兵装転換の不手際や防空体制の不備に反省改善することはなく、そのツケはミッドウェーで払わされることになるのである。


戻る