太平洋海戦史


ニューギニア沖海戦1942.2.20

 真珠湾で大打撃を受けた米海軍は、生き残った空母を使って反撃に転じたが、それは正面作戦ではなくゲリラ的な作戦であった。ウイリアム・ハルゼー中将麾下の第16任務部隊(空母「エンタープライズ」基幹)とフランク・フレッチャー少将麾下の第17任務部隊(空母「ヨークタウン」基幹)がそれぞれマーシャル・ギルバート両諸島へ攻撃をかけたが、南雲中将の機動部隊はなかなか捕捉できなかった。
 一方オーストラリア・ニュージランド連合軍の要請を受けたウィルソン・ブラウン少将麾下の第11任務部隊(空母「レキシントン」基幹)はラバウルを奇襲すべく航行途中に、哨戒中の97大艇に捕捉された。
 第24航空戦隊の後藤英次中将は、麾下の第4航空隊に攻撃を命じたが、この部隊は新編されたばかりで魚雷と戦闘機の増槽が届いておらず、やむなく陸攻のみの攻撃となった。
 戦闘機の護衛のない爆撃行は、航空援護のある艦隊に対してはまったくの無力で、結果的に米軍の攻撃は防いだものの日本軍の陸攻17機のうち15機を喪失するという惨憺たる結果となった。その後も米空母は執拗にゲリラ的な空襲を繰り返し、東京初空襲へと発展させた。

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