
太平洋海戦史
日本本土初空襲1942.4.18
米海軍は真珠湾攻撃の復讐と、米国民の志気を高めるため意表をついた空母による日本本土空襲を考えた。航続距離の長い陸軍のB25を空母「ホーネット」から発進させ、日本を爆撃したあと中国大陸へ着陸しようとする計画である。指揮官は米陸軍第17爆撃隊のジェームズ・ドゥーリトル中佐が選出され、志願者も同隊の全員が志願した。
4月18日午前6時50分、日本の監視艇が米機動部隊を発見したために計画を変更、ただちにB25、16機を発進させた。監視艇から打電があったものののんびりとかまえた日本軍の防御陣をかいくぐって空襲は成功した。爆撃による日本側の被害は、死傷者約200人、家屋損傷350戸。横須賀では空母に改装中の潜水母艦「大鯨」が爆撃を受け損傷した。
帝都が空襲を受けたことにより、被害程度は大きくなかったものの、日本の首脳陣に大きな衝撃を与えた。この事件によりミッドウェーへの道が切り開かれてしまった。