太平洋海戦史


北号作戦1945.2.10〜20 

 比島沖海戦後、本土に戻った航空戦艦「日向」と「伊勢」は、フィリピン・シンガポールそしてリンガ泊地と物資輸送の任務を遂行していた。そして今度は内地へ物資を還送する任務を命じられた。遊弋する米潜水艦や爆撃機の攻撃圏内となった南・東シナ海域を突破するこの作戦を「北号作戦」と命名され、2月10日午後4時、第4航空戦隊司令官松田千秋少将は「完部隊」(任務を完遂するの意)を率いてシンガポールのセレター軍港を出発した。
 2月11日から早くも米軍の哨戒に触れたものの2月13日午後12時、ついにP51戦闘機に援護された爆撃機40機が来襲。しかしスコールの中へ避難し事なきを得た。1時40分米潜水艦から8本の魚雷が発射されたがすべて回避した。
 2月14日、またもや約80機の爆撃機が来襲。スコールに阻まれ攻撃は失敗した。
 完部隊は行動を秘匿するために、大陸の日本軍占領地に仮泊しつつ沿岸部を北上し2月20日午前10時呉に到着した。松田少将の完部隊はまったくの損害がなく名前の通り任務を完遂した。

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