
太平洋海戦史
比島沖海戦1944.10.23〜25
絶対防衛圏の一角であったマリアナ諸島を喪失した日本軍は、連合軍との決戦態勢を確立するために「捷号」作戦を立案した。
連合軍は、ダグラス・マッカーサー元帥の悲願であるフィリピン奪回作戦を計画、ウィリアム・ハルゼー大将の第3艦隊と上陸部隊と共にするトーマス・キンケード中将の第7艦隊で、740隻もの大船団となって10月17日、レイテ湾口のスルアン島を占領し、10月20日にはレイテ島に上陸した。連合軍のフィリピン侵攻で豊田長官はただちに「捷一号」作戦を発動した。
10月18日、第2艦隊司令長官栗田健男中将の第1遊撃部隊(戦艦7隻基幹)はリンガ泊地を出撃、第3艦隊司令長官の小沢治三郎中将の機動部隊(空母4隻基幹)も10月19日瀬戸内海を出港、フィリピン北東海面に向かった。
10月20日、第1遊撃部隊はブルネイに到着後燃料補給を受け、ここで栗田中将は、豊田長官より連合軍上陸部隊撃滅の作戦要領を受けた。
作戦要領によれば、栗田中将が直卒する主力の第1部隊及び第2部隊がパラワン水道からシブヤン海、サン・ベルナルディノ海峡を経て南下しレイテ湾へ突入する。旧式戦艦「山城」「扶桑」を基幹とする西村祥治中将の第3部隊は主力と別同し、スル海を東進してスリガオ海峡を北上し南方からレイテ湾へ突入するというものであった。両隊は10月25日午前0時を持って同時にレイテ湾へ突入する予定となっている。その間小沢機動部隊は囮となって米空母部隊を北方へ誘引し、栗田艦隊のレイテ突入を助けることになっていた。また、機会があれば116機の艦載機で米艦隊を攻撃することも命じられていた。
<シブヤン海海戦>
10月23日午前1時16分、米潜水艦「ダーター」はパラワン水道を通過する栗太部隊をレーダーで探知、全軍に警報を発した。「ダーター」はそのまま栗田艦隊を追尾、6時30分に雷撃を加えた。「愛宕」「高雄」に被弾、「愛宕」は沈没、「高雄」は大破しブルネイに引き返した。栗田中将は戦艦「大和」に移乗、旗艦とした。重巡「摩耶」も米潜水艦「デース」の雷撃を受け沈没、はやくも3隻の重巡が栗田艦隊から姿を消したのである。
10月24日、潜水艦「ダーター」の警報を受けたハルゼー大将は、第38任務部隊第2群の空母「イントレピッド」「キャボット」から攻撃第1波45機を向かわせ、シブヤン海にさしかかった栗田部隊を発見、戦艦「大和」「武蔵」「長門」、重巡「妙高」に攻撃を加え「武蔵」「妙高」にそれぞれ1本の魚雷が命中、「妙高」は戦場を離脱した。
フィリピンの基地航空隊は、栗田艦隊の突入を援護すべくハルゼー艦隊を攻撃し、軽空母「プリンストン」に魚雷1本が命中誘爆をおこして沈没した。
ルソン海峡東方に海域に達した小沢機動艦隊は早朝より索敵を実施、南方150海里に米空母部隊を発見、攻撃隊を発進させた。ところが、故障機が続出する中57機だけが発進したもののほとんどが米戦闘機の邀撃に遇い、米艦隊に損害を与えることができず、生き残った数機は台湾とフィリピンに不時着した。
空母「イントレピッド」から攻撃第2波31機は12時6分「大和」「武蔵」を攻撃し、「武蔵」に魚雷3本と爆弾2発を命中させた。「武蔵」は罐室を損傷し速力は22ノットに低下した。
第38任務部隊第3群の空母「レキシントン」「エセックス」から発進した攻撃第3波44機は、午後1時30分戦列から落後しつつある「武蔵」に攻撃を集中し魚雷5本、爆弾4発を命中させた。これにより「武蔵は」台湾の馬公に帰還させようと基地航空隊に救援の電文を打った。
第38任務部隊第4群の空母「フランクリン」から発進した攻撃第4波32機は、2時30分に「大和」「長門」に攻撃を加え「大和」に爆弾1発が命中した。
第38任務部隊第2群及び第4群から発進した攻撃第5波67機による攻撃は満身創痍となった「武蔵」に集中した。この攻撃で爆弾10発、魚雷11本をうけた「武蔵」はついに航行不能となった。「長門」には2発の命中弾により速力は21ノットに低下した。重巡「利根」も2発の爆弾が命中、駆逐艦「清霜」には1発が命中中破、駆逐艦「浜風」は至近弾により小破した。大損害を受け栗田中将は3時30分艦隊に反転命令を出した。
栗田部隊は壊滅的損害を受けて反転したと考えたハルゼー大将は、栗田艦隊に対する攻撃を中止、小沢機動部隊を攻撃すべく北上を開始した。
栗田中将は、米空母の空襲が止んだため5時45分再反転しレイテへの進撃を開始した。一方シブヤン海を漂流していた「武蔵」は総員退去の後7時35分艦首から沈没した。
<スリガオ海峡海戦>
別働隊の西村中将は予定通りレイテ湾に突入したが、スリガオ海峡にはジエス・オルデンドルフ少将の4段構えの堅陣があり、午後9時00分、重巡「最上」駆逐艦「満潮」「朝雲」「山雲」を前衛とし先行させが、10時50分魚雷艇の攻撃を受けたことにより先行した部隊を呼び戻し合流した上で、10月25日午前2時00分スリガオ海峡に突入した。しかしまたも魚雷艇の攻撃にあったものの被害はなかった。3時00分、米第54駆逐隊は西村部隊に対し魚雷27本を発射、「扶桑」に魚雷4本が命中、沈没した。
午前3時11分、米駆逐艦2隻の雷撃により「満潮」「朝雲」「山雲」に魚雷が命中。「満潮」は航行不能となり「朝雲」は艦首を吹き飛ばされた。「山雲」轟沈。「山城」は魚雷1本が命中したが戦闘に支障はなく、西村部隊は「山城」「最上」「時雨」の3隻だけとなったが、西村中将は北進を続けた。
3時55分ジエス・オルデンドルフ少将の巡洋艦および戦艦部隊は、射程内にあった西村部隊に対し砲撃を開始。この攻撃により「時雨」を除いて全滅し、南回りのレイテ湾突入は失敗に終わった。
<サマール島沖海戦>
10月25日、西村部隊の全滅を知らない栗田部隊はサマール島沖でハルゼーの空母部隊を発見したと判断、突撃を命令した。午前6時58分、距離32kmとなったところで「大和」「長門」「金剛」「榛名」の4隻の戦艦で砲撃を開始した。
栗田艦隊が捕捉したのはハルゼー大将の空母部隊ではなく、クリフトン・スプレイグ少将に指揮された第77任務部隊第4群第3集団(護衛空母6隻基幹)であった。
砲撃を受けたスプレイグ隊は発進できる艦載機は手当たり次第に爆弾を搭載し飛び立った。駆逐艦は護衛空母を守るべく、圧倒的優勢な栗田部隊に対し果敢なる攻撃を敢行した。
駆逐艦「ジョンストン」は栗田艦隊の追撃を振り切るために魚雷を発射、重巡「熊野」に命中落後させたが、「大和」「長門」等の砲撃により撃沈。
「大和」「長門」は肉薄してきた駆逐艦の雷撃を受け両舷に同航する形となり米艦隊を見失ってしまった。
残る「金剛」「榛名」「鳥海」「妙高」「羽黒」「鈴谷」「利根」「筑摩」はスコールから出てきたスプレイグ隊を追撃、駆逐艦「ホエール」及び「サミュエル・B・ロバーツ」を撃沈した。
艦載機や駆逐艦の捨て身な攻撃により苦戦をしたがようやく護衛空母「ガンビアベイ」を撃沈、他の護衛空母4隻と駆逐艦に損害を与えることができた。
9時00分、栗田部隊の追撃に悩まされたスプレイグ隊の上空に、救援の攻撃機80機が他の護衛空母より到着し、日本の重巡部隊に襲いかかった。この攻撃で、「鳥海」は爆弾1発が命中し航行不能となった。また、「鈴谷」は再度の被弾で沈没し、「鳥海」は自沈処理された。
9時11分、栗田中将は分散していた各艦に集合を命じた。スプレイグ隊はおかげで危機的状況を脱した。
<栗田部隊、謎の反転>
10月25日午前11時00分、陣形を立て直した栗田部隊は再びレイテ湾を目指した。このとき、栗田部隊の北方100kmの地点に米艦隊が存在する、という南西方面艦隊からの入電があった。このまま北方に進めば1時間程度で米空母を攻撃できる。レイテはその後でも良い。そう判断した栗田中将は12時26分艦隊を北方へ反転させた。
<最初の神風攻撃隊>
栗田艦隊が反転するか否かで激論を交わしていた頃、関行男大尉が率いる神風攻撃隊(敷島隊)がスプレイグ隊に襲いかかり護衛空母「セントロー」を撃沈、憂国の桜は見事に散った。
<エンガノ岬沖海戦>
小沢中将は前日からの米機の接触により、米機動部隊の誘引に成功したと判断した。事実ハルゼー部隊は囮にひっかかった。ルソン島北東端のエンガノ岬沖に達した小沢機動部隊は残存機を陸上に基地に飛び立たせ、18機の零戦だけを直衛機として残し午前7時北上を開始した。
7時30分、ハルゼー部隊は北上する小沢部隊を発見、戦闘機60機、急降下爆撃機65機、雷撃機55機が攻撃へと向かった。
8時15分、米空母から発進した第1次攻撃隊は小沢機動部隊に対する攻撃を開始。「瑞鶴」に爆弾数発と魚雷1本が命中、発電室とタービン室が浸水、速力が23ノットに落ちた。空母「千歳」は爆弾7発を受けまもなく沈没。防衛駆逐艦「秋月」は後部甲板部分に爆弾が命中して大爆発をおこし船体が真っ二つにおれて轟沈。軽巡「多摩」は魚雷1本受け大破。空母「瑞鳳」は甲板後部に爆弾1発が命中して小破。
10時00分、小沢機動部隊に対し戦闘機14機、急降下爆撃機6機、雷撃機16機の第2次攻撃隊が来襲。空母「千代田」は爆弾1発を受けて大破炎上し航行不能となった。「瑞鶴」は通信不能となり、旗艦を軽巡「大淀」とした。
午後1時5分第3次攻撃隊200機以上の米空母機が来襲した。「瑞鶴」には爆弾4発、魚雷7本が命中。動力を失って浸水を止めようがなくなった歴戦の空母「瑞鶴」は、2時14分に沈没した。「瑞鳳」も魚雷2本、爆弾4発を受けて沈没。小沢機動部隊は囮としての役目を貫徹したものの、栗田艦隊の反転によって無駄なものと終わった。