太平洋海戦史



ハワイ海戦1941.12.8(真珠湾攻撃)


 1941年(昭和16年)12月8日未明、真珠湾攻撃隊総隊長の淵田美津夫中佐の発した電報「トラトラトラ」(我奇襲ニ成功セリ)にはじまった太平洋戦争は革命的な戦略・戦術の転換でもあった。これまでの海戦は、艦対艦すなわち主砲の射程距離まで相手を呼び込み艦砲射撃あるいは雷撃によって相手を殲滅する戦術であったが、このハワイ攻撃は航空母艦の戦争であり、また航空機の戦争であることを証明してみせたものである。戦艦よりも飛行機のほうがはるかに強力であることをイギリス東洋艦隊をマレー沖海戦でさらに実証した。航空母艦を集団的に運用し、さらに戦艦・重巡・駆逐艦で守り、これらの集団を「機動艦隊」として大海原を縦横無尽に走らせ、敵の戦艦や巡洋艦の砲撃がまだ届かないうちに攻撃殲滅するこの革命的な戦術は日本海軍の創造によるものである。
 しかし、この革命的な戦術をいちはやく取り入れさらに電探技術や諜報活動を有機的に組み合わせた米軍が、より一層戦術を高度化し応用したのは歴史の皮肉である。
 本題に戻そう。さて戦果であるが、真珠湾攻撃で大破または沈没したアメリカ側の艦船は18隻である。 当時湾内にいた96隻の約19%だが、主力の戦艦群は壊滅した。撃破した米軍機311機、戦死2403名。戦死者の半数は戦艦「アリゾナ」の乗組員であった。
 しかし、米空母はそのとき全艦出動中で湾内には在泊せず、その後の戦況に大きな影響を与えることになる。
 日本軍側の損害は、第1波、第2波攻撃隊353機中29機。攻撃に加わった者765人のうち55人が戦死。ほかに特殊潜行艇5の9人が還らなかった。


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