
太平洋海戦史
はじめに
日本の海軍は、歴史を遡れば明治以前にも組織された「水軍」や「海賊」が存在したが、やはり近代海軍の祖で幕末に活躍した「勝海州」あるいは「坂本龍馬」の「海援隊」がはじまりであろうことは大勢の支持が得られることだろう。坂本龍馬も志半ばで倒れるわけだが、その精神はバルチック艦隊相手の日本海海戦で東郷平八郎元帥へと受け継がれていくわけだが、とはいえもちろん大英帝国の海軍をお手本にしたことも事実であるが、いずれにしろ明治5年14隻の木造軍艦が品川沖に勢揃いして日本の海軍がこのとき産声をあげた。そして70有余年の月日を経て、昭和16年秋には、連合艦隊は総トン数109万有余の陣容となり、世界三大海軍へと成長したのである。
とりわけ7万トンに達するかに見える「戦艦大和」は日本民族の血(智)の結晶であり誇りでもあった。その姿は海上に浮かぶ城のごとく形容されたが、「戦艦大和」にいたっては「山」であり霊峰「富士」を彷彿させるもので、国民はこぞってその威容を賛美と畏敬の念相半ばでみたことであろう。
また、太平洋戦争を遂行するにあたり、数々の新兵器や優秀な戦略・戦術があったことも事実であり特筆されるべきであろう。優秀な航空機や93式酸素魚雷などは当時の科学の最先端であった。また、多数の空母を運用して戦力の集中をもって敵を撃滅する画期的な戦略・戦術。また時間的余裕さえあれば完成できた超兵器などは物量に対して十分対抗できたであろう。
結果的には、開戦後半年余りで逆転されるのだが、その前の4年間は中国相手に戦ってたわけだし、国力もかなりすり減らしたであろうことは容易に想像できるわけであるが、国力・財力を初めから米英に対して使ってたらと悔やまれるのも事実である。結果論は、どんな人であれ言えることだが、撤退を転進と言ってみたり、精神論だけで敵を圧倒できるといった思いこみなど、反省と教訓をもっと大事にしてほしかったと思うのは私だけではなかろう。ガダルカナル島攻防戦以降思想や発想の転換が行われたときはすでに遅く泥沼状態にあった。
いずれにしろ、大日本帝国海軍は太平洋をいかに制覇しまた衰退の道をたどったか、太平洋における海戦を事実を掘り下げながら一部主観も入ることをお許しいただきながらこの項を記述してまいりたい。また誤りがあればご指摘いただければ幸いである。