
太平洋海戦史
坊ノ岬沖海戦1945.4.7
1945年4月、連合軍は沖縄へ上陸した。 連合艦隊司令長官豊田副武大将は、4月7日の在沖縄陸軍部隊の総攻撃と陸海軍航空隊による特別攻撃に呼応して、海軍の水上部隊を沖縄へ突入させることを決意した。
海上特攻隊の指揮を執るのは第2艦隊司令長官の伊藤整一中将で、戦艦「大和」軽巡「矢矧」駆逐艦「冬月」「涼月」「朝霜」「初霜」「霞」「浜風」「磯風」「雪風」の10隻で第1遊撃部隊とした。これが連合艦隊に残された最後の可動戦力だった。
伊藤中将はこの出撃に強く反対したものの、説明に来た連合艦隊参謀長の草鹿龍之介中将の「1億総特攻の魁となってもらいたい」という一言で出撃を了解した。
4月5日、海上特攻隊は沖縄突入の命令を受け、徳山で燃料を搭載、4月6日午後3時20分、徳山を出撃した。しかしこの時、海上特攻隊は米潜水艦に発見されていた。「大和」出撃の報を受けた米第5艦隊司令長官のレイモンド・スプルアンス大将は、夢の戦艦決戦を実現すべく上陸支援のために出撃していたモートン・デイヨー少将の戦艦部隊に進撃を命じた。
4月7日午前3時、マーク・ミッチャー中将の第58任務部隊が発進させた索敵機が、西方へ向け航行中の「大和」を発見した。このときスプルアンス大将は、「大和」が佐世保に向かうのではないかと考え、戦艦での邀撃を断念し、ミッチャー中将に航空攻撃を命じた。ミッチャー中将は「大和」を撃沈すべく勇躍北上を開始した。
午前10時、第58任務部隊は空母「ホーネット」「ベニントン」「エセックス」「バンカーヒル」「ベローウッド」「サンジャシント」「キャボット」「バターン」から第1次攻撃隊222機を発進させた。
10時14分、海上特攻隊は飛行艇2機の接触を受け、「大和」はこれに対し轟然と主砲をうちはなった。
10時45分、第58任務部隊は空母「イントレピット」「ヨークタウン」「ラングレー」から第2次攻撃隊107機を発進させた。
12時32分、海上特攻隊は飛来する米艦載機に対し猛然と対空砲火を開始、「大和」を発見した第1次攻撃隊第1波は12時40分「大和」に対して攻撃を開始した。最大戦速で回避運動をはじめた「大和」に対し、SB2Cヘルダイバー急降下爆撃機が爆弾2発を命中させ、第2副砲、後部射撃指揮所および電探を破壊した。続いてTBMアベンジャー雷撃機が低空から突入し、12時45分「大和」の左舷前部に魚雷1本を命中させた。「大和」を援護していた艦艇も攻撃を受けた。12時45分、「浜風」は右舷後部に爆弾が命中し推進機を破壊され航行不能になった。12時46分、「矢矧」は多数の命中弾を受け航行不能となった。12時47分航行不能となった「浜風」は右舷中央部に魚雷を受け、船体が真っ二つに折れ轟沈した。また、故障により戦列を離れた「朝霜」も第1次攻撃隊の攻撃を受け撃沈された。
午後1時、第1次攻撃隊第2波が来襲し、1時25分「霞」は爆弾2発を受け航行不能となり、「涼月」は艦首に爆弾を受けて損傷した。
大半の攻撃機は「大和」に攻撃を集中し、F4Uコルセア戦闘機とSB2Cは爆弾3発を「大和」の左舷に命中させた。TBMは被雷した「大和」の左舷に攻撃を集中し、午後1時37分に3本、1時44分に2本の魚雷を命中させた。「大和」は左15度傾斜し、副操舵が故障し変針が困難になった。
1時45分、第2次攻撃隊が来襲、航行不能になっていた「矢矧」は魚雷7本と爆弾12発が命中し、2時5分に沈没。「磯風」は至近弾を浴び1時56分機関を損傷し航行不能となった。
第2次攻撃隊は「大和」に対し雷爆同時攻撃を開始、F4Uが爆弾3発を命中させ、高角砲や機銃座を破壊した。2時7分には右舷中央へ魚雷1本、5分後には左舷に2本が命中した。これにより「大和」の速力は12ノットまで低下した。2時17分、左舷にまたもや魚雷1本が命中し、「大和」は急速に左へ傾斜し、2時20分傾斜がくい止められず、左へ転覆していった。2時23分、主砲弾火薬庫が誘爆して大爆発となり巨大なキノコ雲を噴き上げながら沈没した。伊藤中将は「大和」と運命を共にした。
米軍機の攻撃で航行不能となっていた「霞」と「磯風」も撃沈された。生き残った「冬月」「朝風」「雪風」の3隻は沖縄に向かうことを断念、洋上の各艦生存者を救出後4月8日午前佐世保へ帰投した。
坊ノ岬海戦は、戦艦時代の終焉を象徴する戦いとなった。大艦巨砲時代が生み出した世界最大の戦艦「大和」は米軍機の2時間にも及ぶ攻撃により撃沈され、大艦巨砲時代は終わった。